沢渡日記

日々徒然

20190414

昨日の夕方、久しぶりに空を見た。十階、南西向きのベランダに出て、手すりに両肘をかけて。遠く向こうに山の稜線が見えて、頂上の少し上に紫色の雲が一筋たなびいていた。春の空の色。柔らかい風が頬を撫でる。部屋を振り返るとキッチンで友達と友達のお母さんが夕食の準備をしていた。私はまた空を向き直って目を細めた。気持ちいい…。寒くない?友達が窓から声をかけてくれた。大丈夫。もうすぐごはんできるよ。うん、もう入るね。私は最後の夕暮れをもう一度眺めた。誰かのそばで一人になるのは最高だと思った。

20190412

昨日の夜、虚無感が拭えぬまま同僚のために仕事をした。やりたいことが何一つ思いつかないときは今できることをするしかない。そして誰かの役に立つことなら尚いい。家に帰り、ドラマ、ストロベリーサーガを流してキッチンで焼うどんを作った。あまり細かい内容はわからなかったけれど、サイコっぽいストーリーのようだ。ふと、人との組み合わせによってひどく冷酷な気持ちになることがあると思った。あれは何なのだろう。芽はすぐに摘み取ってなかったことにするけれど、瞳にだけはその冷酷な色が残ってしまう気がする。クライマックスで二階堂ふみが東大卒の狂人に床に組み伏せられていた。血で手が真っ赤に染まっていた。彼女を見ていると何故かザワザワする。でも目が離せない。多分強い魅力があるのだろう。

20190411

久しぶりにめちゃくちゃに落ち込んだ。お医者さんから検査結果が思わしくないので一ヶ月の運動禁止令が出た。私は病的な運動マニアで、大人になってからも運動をやめたことが通算一ヶ月くらいしかない。おそらく一般の人の四倍くらい人生の時間を運動に費やしてきた。ゆっくり休んでください、リフレッシュなら美味しいもの食べに行ったりね。そう言われて全く意味がわからなかった。自分にとっての運動はリフレッシュのような耳障りのいい位置付けではない。毎日ご飯を食べたりお風呂に入ったり眠ったりすることと同じだ。でも仕方ないからそのプログラムを受け入れることにする。一つ前に衝撃だったのはアレグラを飲めなくなったことだ。十年?もっと?抗アレルギー剤を飲み続けてきて、それを飲まないということに混乱をきたした。でも、やめてからは漢方の小青竜湯をたまに飲むくらいで特に何ともない。そんなものかもしれない。さっき、自分にとって最も外すのが難しい依存は運動だと気付いた。恋愛でも仕事でも抗アレルギー剤でもなく。落ち込んで色々考えてみてよかったのかもしれない。

20190410

昨日の夜、残業の後で最終のヨガ。最近集中力が上がり、長時間集中できるのをいいことに遅くまで働いてしまう。よくない傾向。家に帰って食事をしながらテレビを観た。ふと、地震を察知して飛び立つ鳥のことを思った。

20190409

昨日の夜、修行が終わった。厳しかったけれど、自分にとっては素晴らしい修行だった。並んで夜道を歩きながら師と話した。多分これが今生の別れだと思った。笑顔で握手して手を振った。

20190408

転職活動をしていると頭の中が忙しい。ふと合間に考えた。もう要らないものを手放すことを後悔していないか。それほど欲しいわけじゃないものを得られずにガッカリしていないか。それは全部違う。わかってはいる。

20190407

昨日、久しぶりの友達に会った。約束もせず何人も会えてしまうのは有難い。最近は週末に幸福をまとめてチャージしているところがある。のんびりコーヒーを飲みながら、共通の女友達の婚活事情を聞いた。自分は特に結婚をしたくないからその点では楽だなと思った。…さんは日常で男の人に甘えたくなることはないの?今日こんなことあってキツかったーとか。女友達に聞かれた。もちろん甘えたいよ、と答えながら、多分寄りかかる重さは微調整するだろうなと思った。二人の関係性で娯楽の位置に収まるように。それから男友達と仕事の話をした。亀の形のおかきを食べた。彼は今の仕事と生活を長い絵巻物のようだと例えた。自分も同じだからよくわかるなと思った。私は今いる絵巻物からポンと外に出て、この先どうなるのだろう。ふと、写真のように生きたいと思い浮かんだ。意味は自分でもよくわからなかった。