沢渡日記

日々徒然

20190625

昨日の夜、焼き鳥屋へ行った。久しぶりに会う女友達だった。ビールで乾杯してから久しぶりに近況を聞いた。彼女はマンションを買い、出来立ての彼氏がいるらしい。順風満帆だね、と私が言うと、まだ付き合い始めたばかりで距離感がわからない、と彼女は言った。最後に連絡を取ったのはいつ?水曜日かな。五日経ってるから連絡しなよ、と私が言うと、まだいいよ、と彼女は砂肝に一味唐辛子を振りながら答えた。じゃあ七日後だね。私は最近の振るわなかった恋の話をした。まあいいのよ、友達に戻ったから。ささみ串を串から外していると、友達に戻るのがすごいわ、と彼女から返ってきた。厳密に言うと友達ではないのかもしれない。その人が、私と前の恋人が一緒にいるのを見たときの表情を思い出した。じゃあどうして必要な時期に必要なことをしなかったのか。私は冷めた気持ちでビールを飲んだ。ふとした話から依存の話になった。どうして人は群れたがるんだろう?私が呟くと、やっぱりさぁ、人は皆さみしいからじゃないの?と彼女は答えた。カウンターから店主がレバー串の皿を差し出した。受け取ってテーブルに置き、食べ終わった串を空になった皿にまとめた。私もさみしいよ、と言うと、私もさみしい、と彼女も言った。ビールをもう一杯ずつ頼んで、お新香と両手羽、つくね梅を頼んだ。さみしいから群れたいというのはリンクしないと思った。じゃあ私のさみしさには何がアクセスできるのだろう。豚串も頼んでいい?メニューを眺めていた彼女に聞かれて、私はニッコリして頷いた。