沢渡日記

日々徒然

20210614

仕事明け、久しぶりに服を見に行った。あまり好みのものなく、早々に店を出た。公園に寄って散歩した。ベンチに座ってぼんやりして、iPhoneSNSを眺めた。午後、好きだった人からアクセスがあった。諸々混乱の最中、彼に会いたいと思っていた。その矢先のことだった。私はずいぶん前から誰とも会話をしていないと思っている。普段から人と話してはいる。ただ、それは退屈なものが多い。相手にフォーカスして話をしたり、退屈凌ぎにたまに相手の心を盗んだり。もちろん十分相手に利のある形で。心のカケラくらい無くなったって誰も気づきはしない。私だってきっと、色んな人にカケラを持ち去られているのだ。好きだった人との会話は全く退屈ではなかった。そして、私はあの人の心を盗みたくなかった。正当に扱いたかったのかもしれない。魂が歓ぶ人というのは人生で滅多に会えないのだ。今更ながらに思う。このまま死ぬまで退屈して、誰とも話した気になれないまま命を終えていくのかと思うと、ずいぶんと長い余生だと思う。ものすごく不幸な気もするし、さっぱりとした諦めの中で生きるのは軽やな気もする。見上げると、早緑の桂の葉がさわさわと風に揺れた。もし会えたらやっぱり好きだと言うかな、と考えた。ただ、好きだと言われて、ありがとうと返すだけなら、相手にとってそれは必要な事実なのだろうか。