沢渡日記

日々徒然

20210911

午後、コーヒーを飲みながらYouTubeで藤井風のライブを観た。特にない、を聴いたところで涙が出た。風くんは声に乗せて、無限の愛と光を私たちに届ける。聖の光が当たった時、私は絶望していると気づいた。絶望は強い希望を生む、それはセットだ。わかってはいる。柔らかな新芽を出すためには、心は一度、草一つ生えない真冬になる必要がある。今はつまるところ、どうやって生きていったらいいのかわからない。朝起きて、朝食とお弁当を作る。食後にヨガと短い瞑想をする。職場に出勤して、淡々と集中して仕事をする。同僚のために珈琲を淹れる。仕事明け、夕暮れから夜にかけてビル街を歩き、花屋とデパ地下に寄って家に帰る。イヤフォンをつけてベランダに出て、音楽を聴きながら煙草を一本吸う。ささやかで美しい夕餉を整える。ウイスキーソーダを作り、器にフルーツやナッツをあしらう。音楽を流してエッセイか小説を飲む。その繰り返し。毎日。進んで誰かに会いたくないし、会っても何を話せばいいのかわからない。生きていると疲れることも窮屈なこともあると思う、休んでいいんだよ。風くんはそう言って、スタジアムの広大な芝生で昼寝をした。疲れると言えば自分自身に疲れている。私は、自分の激しさや熱量をどこに注いだらいいのかわからない。その取り扱い方がいつまで経ってもわからない。だから今は淡い影のように生きている。自分はいつも二重であるような気持ち。この余剰に行き場を求めるなら、と思う。もし才能があれば抽象画を描いていただろうし、作曲をしていたかもしれない。夕方になって家を出た。八百屋へ行き、葡萄とプルーンを買った。綺麗な紫色。お店の人が青梗菜を二束おまけしてくれた。その後、公園をゆっくり散歩した。ひっそりと咲く深紅の薔薇を見た。